神秘と現実の結合
雪と氷の都ペテルブルグから霧の都ロンドンに移り、そこで今世紀の前半期にすぐれた金属学者として活動し、1937年にベッセマー賞を受賞したロシア人ベラーエフも、ロシア語の「ブラート」、つまリインドのウーツ鋼(ダマスカス鋼)の模様に魅せられた人でした。
彼をこの研究にかりたてたのはオブーコフエ場の現場からミカエル砲術大学の教職に移ったチェルノブ教授だった、と彼はイギリス鉄鋼協会誌(1918年)の論文『ダマスカス鋼』で語っています。
「先生は鋼と合金の講義で、ダマスカス鋼の構造、結晶、性質に私たち学生の注意を促し、今後の研究の必要を訴えた。
私は幸運にも1904年に、先生の輝かしい講義を聞くことができました。
私は子供の頃、父の集めた刀剣のなかにペルシャのダマスカス銅を見つけ、その美しい神秘的な波紋に魅せられました。
波紋のでる理由を尋ねても、父はその秘密はとっくの昔に失われてしまったのだと答えるだけでした。
チエルノフ教授が雄弁にその美の真相を語ったとき、私はその研究にとりつかれた」チェルノブもまたペテルブルグのオブーコフ工場にいた頃、1860年代、山深いウラル山脈のズラトースト製鉄所に旅行し、忘れさられようとしていたそこでのアノーソフの研究のことを闘き、深い感銘を受けました。
工場にもどってすぐに、「ブラート」の研究と製造に熱中した。
それが新たに登場したロートアイアンの砲身砲弾の造塊・熱処理という実際問題と結合して、科学的な大研究へと彼をみちびきました。
« 再建 | メイン | 健康づくりの運動とは »